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独り言


(Vol 5)


年月日

記                      事

2003/12/12

Shun's Page が2001年10月開設以来、昨日でアクセス件数20万件になりました。このところ、あまり更新をしていないにも関わらず、月間1万件程のアクセスをいただいています。読者の皆さんに感謝あるのみです。<m(__)m>
新しい企画を、と思いつつもなかなかまとまった時間がとれないのと、適当なテーマが見つからなくて、ついつい延び延びになっています。「主婦のためのExcel入門講座」の続編でも、と考えてはいるのですが・・・

2003/12/06

昨年の6月6日に買った「エッセイで楽しむ 日本の歴史(上・下) 文藝春秋編」をようやく読み終えました。なにしろ上・下巻で1,240ページもの膨大な分量と、エッセイという文章形式上"いつでも読める"ということで、他の小説がとぎれたときなどに開いて読んでいたせいもあって、1年半という長い時間がかかってしまいました。
内容は、約3万年前の旧石器時代から明治維新が収束するまでの日本での様々な出来事や歴史上の人物評などを、各界の著名人の手によりエッセイ集としてまとめたものです。興味のある部分だけを拾い読みしてもよかったのですが、読み飛ばすところに以外な発見があるかもしれない、との思いもあつて結局すべて読み通しました。
個々の内容について触れるのはとてもできませんが、エッセイの性格上、正史とは違って執筆者の想いなども込められていますので、"そういう見方もあるのか" "そんなこともあったのか" というように、小説とは別の意味での楽しさがありました。

2003/11/30

「木曽路はすべて山の中である。」の書き出しで始まる、島崎藤村「夜明け前(上・下)」を読み終えました。この物語の主人公・青山半蔵は、藤村の父・島崎正樹をモデルとしていることはよく知られています。
物語の舞台が幕末から明治へと移り行く中で、半蔵が住む木曽路・馬籠宿にも時代の波が押し寄せ、木曾谷で生活する庶民の生活にも大きな影響をもたらします。徳川の統治が崩れてご一新を迎えた人々は、やがてわが身にも光が差し込むであろうと仄かな望みを抱きますが、そこに待っていたものは、これまで生活の糧としてきた山をも奪われるという、封建の世にも増して過酷な新政府のしうちでした。
熱心な国学の徒であり、優れた教育者でもあった半蔵も、自身の家が経済的に傾き、若くして隠居を余儀なくされるという憂き目を迎えるとともに、自分が意図し、熱望した世の姿とあまりにも乖離した現実に遭って、失意のうちに狂い死にしてしまうという悲惨な結果で物語が終わっています。
今まで木曾谷へは何度も訪れたことがあり、中仙道の木曽路11宿の名や木曾義仲など歴史上の人物の存在はある程度知ってはいましたが、詳しい歴史やそこに暮らした庶民の生活についてはよく知らなかったこともあって、興味を持って読むことができました。
来春から「木曽川流域紀行」の取材に訪れるときには、また違った目で木曽路の風景を見ることができそうです。

2003/11/24

連休の最終日だというのに生憎の雨。家の中に居ても窓から入る外気は肌寒く、今日は外出を諦めて「木曽川流域紀行」のための資料収集・作成をすることとしました。
今日の作業内容は、木曽川流域に存在するダムなどの水利施設や木曽川へ注ぎ込む川などの名称、所在地。史跡・名勝およびこれに関連する情報をExcelシートに追加・整理することで、概ね予定した作業を完了することができました。
これまでに調べた関係市町村のホームページと、それぞれの市町村にある各種資料館、主な文化財情報などを合わせると相当量のデータが集まりました。これらのデータは、言わば物的情報で、比較的容易に入手できるものなのですが、今後はこれらの情報を基に、土地にまつわる歴史、伝統産業、行事など、人々の生活や文化に関係する情報を収集するつもりでいます。
ただ気がかりなことは、最近の市町村合併ブームで「木曽川流域紀行」に関係する市町村の多くが合併協議会に参加しており、せっかく収集した資料が陳腐化してしまう恐れがあることと、合併後も現在のホームページ掲載情報の質と量が維持されるかどうかという点です。このことを考えると資料整理だけは早く終えておく必要がありそうです。
効率よく現地取材をするためには、計画段階で全体の大まかな構成のイメージ描いておくことと、取材対象にふさわしい時期、ルートを設定する必要があります。これからの作業を考えると"大変なことを始めてしまったものだ"と足がすくむ思いもしますが、いつまでにという期限があるわけではないので、ライフワークとしてボチボチ楽しみながら続けていくつもりです。

2003/11/19

今年も残すところ一カ月余りとなりました。個人的な生活を振り返ってみると大きな出来事もなく、淡々と月日が過ぎていったような気がします。
そんな中で、3月から始めたTosigon's Clubの「花と自然の写真集」は休日の生活を大きく変えました。デジカメの購入を機に、これまで山野に咲く花、自然の風景などの写真を夢中で撮り続け、今年1年だけでも3千枚近くは撮ったでしょうか。
最近になってカメラの使い方にもようやく慣れて、自分のイメージに近い写真もボツボツ取れるようになってきましたが、それでも"これは" という写真はなかなか撮れるものではありません。
プロとアマの違いは、何気ない風景の中にも「美」を見出す「感受性」と、明確な意図を持って画像を構成する「イメージ創造能力」にあるような気がします。もちろん、カメラというメカニックを使うわけですから、その機能・操作方法を熟知していることが前提となるのですが、これはアマでも経験を積み重ねることによって相当程度まで習得することができます。
このことは歌の世界でも同じことが言えると思います。歌を唄うには、曲全体をどう表現するかを前もってイメージしておかないと、メリハリの効いた歌にはなりませんし、また、いくら「歌は心」とは言っても、自分のイメージを具体化できるだけの声と表現技術が要ります。
囲碁の世界にも「大局着眼小局着手」という格言があります。これは常に全体を見ながら部分的な局面に着手するといった意味なのですが、1局の碁を打つに際しても、自分がどんな内容の碁を打つかの戦略を始めに立てておいて、あとは盤面の展開に応じて臨機応変に戦術を選択していきます。
こうしてみると、感覚や感性とそれによって形成されたイメージを具現するための技術との関係は、どの世界にも共通すると言えそうです。
更に、これらのこととスポーツにも共通する点として、それぞれの分野でレベルアップのために行なう訓練内容は、「いかに余分な部分を削ぎ落とすか」、つまり、無駄な動きなどを除いていくことが基礎となっています。
写真の場合はできるだけトリミングの余地を少なくし、歌でいえば喉に力を入れない、囲碁であれば無駄な手を打たない、スポーツでも緊張と弛緩をうまく使い分ける、などでしょう。
楽聖と称されるベートーベンの作曲過程は、複雑化しがちな楽曲を可能な限り単純化する道程であったと言われています。物理学者アインシュタインの「Simple is best」という有名な言葉がまさに端的にこのことを表しています。
「言うは易し行なうは難し」ですが、愉しみとしての趣味がアマの特権ですから、歌であれば「音楽」のはずが「音我苦」になってしまわないよう心掛けたいものです。

2003/11/15

今日の午後から明日にけて雨模様という天気予報でしたので、早い時間に写真を撮ろうと朝8時に自宅を出発して岐阜県の横蔵寺へ行ってきました。その模様は「花と自然の写真集」にも寺の紹介してありますのでご覧ください。
横蔵寺は由緒ある寺のようで、別名「美濃の正倉院」とも言われるほど文化財が沢山あるとのことです。それと、揖斐川上流の山裾にあるだけあって静かな雰囲気が気に入っています。
今日は紅葉も盛りを向かえ、観光客や参拝客で賑わっていました。また、この地方は柿の産地で、参道脇には近在の農家の方が露店を開き、柿、野菜、きのこなどを売る店のほか、五平餅や蓬餅、みたらしなどの店もあって結構繁盛していました。昼食代わりに五平餅と蓬餅を食べたところ、とてもおいしかったです。
帰路に信号待ちで何気なく上を見上げたところ、信号脇に「七五三("しめ"と読みます)」という地名表示板があり、そういえば今日、11月15日は七五三だったことを思いだして、その偶然と地名の珍しさもあって写真に撮ってきました。
途中、本屋さんに立ち寄り、HPで「木曽川流域紀行」を作るための参考にと、島崎藤村の「夜明け前」を買ってきました。この本は中学校か高校時代に読んだような記憶はあるのですが、いずれにしろ内容は忘れてしまっているので改めて読んでみようと思っています。

2003/11/06

連休明けの11月4日。振替休日を利用して曽爾高原へ行ってきました。かねてから一度は行ってみたいと思っていたところですが、ようやく念願が叶っての撮影ドライブ。
朝7時。自宅を出発して東名阪から名阪国道に入り、柘植(伊賀)ICで降りて、第一の目的地である大杣湖へ。途中、柘植駅の前にある喫茶店「中村屋」へ立ち寄りました。ここは、ネットで知り合ったHNくのさんから紹介された店で、落ち着いてとても雰囲気のいい店です。
ご夫婦とも優しい感じで、自家製のアップルケーキをご馳走になりながらいろいろ話をしているうち、Excelのことが話題になってついつい長居をしてしまいました。ホームページも作っておられるのでご参考までにURLを紹介しておきます。http://www9.ocn.ne.jp/~igatsuge/
大杣湖に着いて、喫茶店「Moose」の前でふと足元を見ると、ホトトギスが咲いていたので写真を撮っていたところ、店の方が近づいてきて「これあげるから持っていきなさい」と言ってそのまま引き抜いて持たせていただきました。なんだか、すごく得したような気分になりました。
大杣湖はまだ紅葉には早かったのですが、静かなたたずまいが気に入りました。
次は本来の目的地「曽爾高原」です。青蓮寺湖、香落渓の紅葉を眺めながら約1時間で現地へ到着。ファームガーデンで少し早めの昼食をとり、ここから高原までは歩きです。
期待したとおり、高原全体がススキに覆われているといった感じで、素晴らしい眺めでした。あちこちで撮影しながら夕日が落ちるときの撮影ポイントを探し、3時過ぎからいろいろテスト撮影をしているうち、始めは付近に2,3人しかいなかったのに、次第にカメラを手にした人が集まり始め、4時半過ぎには15名ものカメラマンが揃いました。どうも、そこは絶好の撮影ポイントだったようです。
5時少し前、太陽が山の端にかかり、辺りが薄暗くなってくるとススキが夕日を浴びていい感じで光ってくれました。ワクワクしながら夢中でシャッターを押し、出来上がった写真を見るとなんとかイメージに近いものが写っており、ネバったかいがあったかなと一人喜んでいました。
ただ、日中、暑かったため車に上着を置いてきたのが失敗で、寒さに震えながらの撮影となりましたが、満足感を味わいながら家路に着くことができました。

2003/10/26

9月から今月にかけて、休みの日に仕事が入ることがちょこちょこあって、思うように出かけることができません。
そんなこともあって、つい最近出版された北方謙三「水滸伝(十一 天地の章)」を買ってきました。これまで10巻まで出版されていますが、どこまで続くのかわかりません。水滸伝は確か中学生ぐらいのときに読んだ記憶がありますが、肩が凝らなくて楽しめます。
本といえば、この半年、花と山に関する本を沢山買い求めました。実例を挙げると、
「日本の野草」(山と渓谷社)、「日本の樹木」(山と渓谷社)、「花の百名山(上・下)」(山と渓谷社)、「花の群生地ガイド(東・西日本編)」(山と渓谷社)、「東海花の名所12ヶ月」(山と渓谷社)、
「花の山旅(7,8,13)」(山と渓谷社)、「東海花の湿原紀行」(風媒社)、「鈴鹿の山82コース」(風媒社)、「四季の花巡り(関西周辺,名古屋周辺)」(昭文社)、「山と高原地図(32,37,40,44)」(昭文社)、「花おりおり(1,2)」(朝日新聞社)
ざっとこんな具合です。
花や山の本は見ているだけでも楽しく、地図などを見ながら何時か行ってみたいところのコースなどを頭に描いてはイメージを膨らませています。ただ、残念なのは、いろいろな花の咲く時期が重なって一度にあちこち見ることができないのと、遊び資金が潤沢にあるわけではないので日帰り中心にならざるをえないことです。
そうした意味からは、早く「毎日が日曜日」の日が来ないものかと心待ちにしている今日このごろです。それまでに体力練成をして身体を鍛えておかないと・・・・・

2003/10/20

文字通り雲一つない秋晴れの日曜日、2年振りに乗鞍岳へ行ってきました。紅葉シーズンとあって混雑を避けるのと、現地でゆっくり景色を楽しむため、早朝6時に家を出発。思惑通り、途中の道路は車の流れが良く快適なドライブで、915分には乗鞍高原に到着しました。
乗鞍山頂近くの畳平までの道は、今年からマイカー乗り入れが禁止されたのでシャトルバスでの登山です。車窓から景色を眺めていると、山腹から頂上にかけてはもうすっかり紅葉が終り、山は冬支度の最中。
バス停から畳平まで歩いて約
30分程登り、辺りを見回すと穂高連峰の雄姿が眼前にくっきりと見え、遠く八ヶ岳連峰まで幾重にも重なった山々にかかる霞が徐々に深くなって、まるで墨絵のように浮かび上がっている様には感動を覚えました。また、北・中央・南アルプス、後立山連峰の山々を心ゆくまで眺めることができ、紅葉に遅れたとはいえ山へ来た気分を堪能することができました。
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時間近く撮影をした後、紅葉を観るために鈴蘭から上高地乗鞍林道を通って野麦峠まで足を伸ばすことにしました。途中の紅葉は、やや時期が遅いかなという感じでしたが、それでも木々の葉が朱や黄に染まって青空に映えている姿はまさに絶品でした。
女工哀史で有名な野麦峠の「お助け小屋」に立ち寄ってから、開田高原に通りかかったとき、夕闇の中でポッカリ切り絵のように黒々とした山容を見せる御嶽山に、今までに無い新鮮さを覚えました。ゆっくりする暇もなく家路に着き、帰宅したのは午後8時40分。この間、500kmに及ぶ道程にもかかわらず大した疲れも無く久々に充たされた気分を味わった一日でもありました。

2003/10/18

長年温めていた「木曽川流域紀行」の準備にようやくとりかかりました。この企画は、私が若い頃広報関係の仕事を担当していて、自分の住んでいる名古屋の生活と産業を支えている木曽川に興味を持ち、約30年程前に木曽川の源流から河口までを辿って流域の自然、歴史、文化などを写真と文章で綴ってみたいと考えたのがそもそもの始まりです。
もちろん、30年前にはインターネットなどは無く、写真と随筆を組み合わせた小冊子の制作を想定していたのですが、時代の移り変わりとともに構想も変化してきました。
パソコンが安価で手に入るようになり、特に、デジカメが出現してからはプロでなくとも誰でもこうした記録をホームページに掲載することが容易にできるようになってきました。私も、一般的なパソコンに関する知識をそれなりに習得したことと、間近に迫った第二の人生で何か意義のあることをしてみたいという想いも手伝って、自分にとっての懸案をこの際実行に移そうと思い立ったわけです。
今のところ、インターネットや書物で木曽川流域に関係する資料を収集している段階で、ある程度資料が整い、おおまかな構成がまとまったら取材計画を立てる予定なので、現地へ出向いて取材や原稿を作成したりできるようになるのは春先になりそうです。

2003/10/05

秋晴れの好天に誘われて、2日連続で写真撮影をしてきました。
昨日の土曜日は、かねてから行ってみたいと思っていた「駒ケ岳」。予定では素晴らしい紅葉が見られるはずだったのですが、紅葉が遅れていたのと、現地へ着いてから俄かに山頂付近がガスに包まれて千畳敷カールからは宝剣岳の山容すら見ることができませんでした。
それでも人出だけは凄くて、ロープウェイに乗るのに往復とも2時間から3時間も待たされる有様。往きの乗車地「しらび平」では、待ち時間を利用して付近の散策と花の撮影をして過ごしたのですが、千畳敷に着いてからは寒くて早々に山歩きを切り上げ、レストハウスでコーヒーなどを飲みながら時を過ごしていました。
山を降りて、車を駐車しておいた駒ヶ根高原の駒ヶ池でも池の周囲を散策しながら撮影をしたのですが、結果的には、本来目的以外の「しらび平」と「駒ヶ池」で撮った写真がHPを飾ることになってしまいました。
さて、本日の日曜日、インターネット情報によれば今日あたりが半田市の「ごんぎつねの里」の彼岸花が満開になるということで、満を持して行ってみたところ、情報通り見事な彼岸花を見ることができました。
矢勝川の堤に100万本の彼岸花が植えられているというだけあって、見ごたえがあり、また、赤色の花のほか、白、ピンク、白と赤のまだらなど、いろいろな種類の花にお目にかかることができました。
童話「ごんぎつね」の著者・新美南吉の記念館が近くにあったので、写真でご紹介をと思ったところ、デジカメの予備電池も切れてしまい、残念ながらお見せすることができません。これは又の機会にということで・・・

2003/10/02

先月末、「Shun's Page」開設 2 周年を迎えました。この間、18万件ものアクセスをいただき、製作者としてただ感謝あるのみです。
当初、これだけの方に見ていただけるなんて思ってもみなかったのですが、次第にアクセス件数が増えるにつれ"もう少し内容を充実しなければ"と考えてはいるのですが、なかなか思うようにはいきません。
このホームページは無料レンタルスペースを利用している関係で、12MBまでの容量しかなく、現在、ほぼ限界近くまでスペースを使っています。12月には50MBまで増量される予定ですので、その暁には新たなコーナーを設けようかなとも考えています。
また、このところ二つ目のホームページ「Tosigon's Club」にかかりきりになっていて、なかなか「Shun's Page」まで手が回らない状態が続いています。間もなく冬を迎え、花のシーズンも終わりに近づいてきました。これからは「Shun's Page」の方にも力を入れるつもりですので、これまで同様、「Shun's Page」をかわいがってやってください。よろしくお願いします。

2003/09/23

彼岸の中日の今日と一昨日、二日間にわたってバラの花の撮影に行ってきました。今年は、お彼岸になってもこの近辺では「彼岸花」が咲き遅れているため、撮影できそうなところを物色していたのですが適地が見当たらず、自宅から近くの「庄内緑地公園」のバラを撮ることとしました。
先日の日曜日、小雨がパラつく中にもかかわらずカメラを持って出かけ、花を濡らす雨の雫を綺麗に撮れないものか、といろいろ工夫して撮影を試みたのですがなかなか意図したようにはいきません。
とりあえず即日HPには掲載したものの、バラの種類名を記載していなかったことがとなんとなく気にかったため、再び公園を訪れ、名前を確認するついでに前回撮り漏らした花を撮影してきたというわけです。
花の写真は、晴れた日に撮るに越したことはありませんが、雨には雨の良さもあるということをHPに掲載してみて改めて知ることができました。

2003/09/20

久しぶりに読書のことです。今回は、井沢元彦「日本史の反逆者・・・私説・壬申の乱」。大化の改新、壬申の乱という言葉は歴史の時間に習った記憶はありますが、どんな内容だったかは忘却の彼方にあるというのが正直なところです。
壬申の乱そのものは、簡単に言ってしまえば天智天皇(中大兄皇子)の子・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)による権力争いなのですが、物語は壬申の乱に至る以前の中大兄皇子と大海人皇子の確執を中心に展開していきます。
中大兄皇子と大海人皇子は、真偽の程はともかく、物語では父を異にする兄弟という人物設定がなされており、このことによる中大兄皇子の大海人皇子に対する冷遇と公私にわたる酷薄な言動が乱へ導く大きな要素として描かれています。
中国の歴史でもそうですが、古代史では親子・兄弟が権力の座を求めて殺しあうことが珍しくありません。現代ではそのようなことはないのですが、政権の座を巡って離合集散を繰り返している様を見ていると、時折"なんのための権力?"という疑問を覚えるのは私だけでしょうか。

2003/09/14

このところ、8月と9月の季節が入れ替わったような天気で、蒸し暑い日が続いています。
野山の9月の花もそろそろ終わりに近づいてきたので、"何か"と思ってネットを調べてみたら、「萩」が咲いているということで撮影に行ってみました。
目的地は長浜市の「神照寺」。寛平7年 宇多天皇の勅命により建立された寺だそうで、萩が植えられた謂れも「室町時代の初代将軍足利尊氏公が、弟の直義と和解の為に訪れた時に植えられた」ということですから、由緒ある萩なんですね。
境内には2万本ともいわれる萩が群生していて、赤や白の花が枝いっぱいに咲いていました。小ぶりの花なのと、境内にアクセントになるようなものが少なかったので撮影には一苦労しました。
ここでの撮影を終えたのが午後1時少し前だったので、伊吹山の3合目にあるお花畑にも寄ってみることにしました。もう花の季節には遅いか、と思っていたら、イブキフウロウ、ツリガネニンジン、イブキトリカブトなどを見ることができました。また、ススキが穂を開き始めており、風に揺られて逆光に映える様はなかなか趣があっていいものでした。

2003/09/07

2週間ぶりの書き込みとなりました。このごろは、HPの花の写真集を制作しているため、本といえば花に関係するものばかりで、小説からしばらく遠ざかっています。もっとも、歴史小説は、現在、興味を惹くようなものがないというのも一つの理由です。
さて、今回も写真撮影についてです。以前、友人に「入笠山」を紹介されてから何度か訪れていますが、今日で4回目か、5回目になるかと思います。これまでは、ドライブを兼ねた軽いドレッキングだったのですが、写真撮影を目的に来たのは初めてのことです。
ゆっくり入笠湿原を見て回ってみて、今まで気が付かなかった美しい花がたくさんあり、山の楽しみが倍増したような感じがします。入笠山は現在、初秋に咲く花が盛りを迎えています。目に付くのはリンドウ、トリカブト、マツムシソウなど紫色の花ですが、一度見たいと思っていたアケボノソウに出会えたのは収穫でした。
残念だったのは、時間がなくて山頂に登れかったことで、頂上付近の雲は多いながらもスッキリと晴れた空だったので、きっと眺望もよかったのではないかと多少悔いが残る撮影でした。

2003/08/24

今日は、じっとしていても汗がポタポタと流れ落ちるような暑さです。先日の伊吹山と開田高原へ行った時の腕の日焼けが、とうとう一昨日あたりからボロボロと剥がれてきています。
愛知県では2005年3月25日から9月25日まで、愛知万博「愛・地球博」が開催されます。その会場予定地の一つに「海上(かいしょ)の森」があります。ここに会場を決めるにあたっては環境団体の反対運動などもあって、当初の予定より面積が縮小された経緯があります。
それはともかく、「海上の森」とはいったいどんなところか、という興味もあって炎天下ではありましたが訪れてみました。目的地を事前によく調べておかなかったため、2,3度通りがかりの人などに道を聞きながら、自宅を出て1時間半過ぎた頃、なんとか現地にたどり着きました。
名古屋からほんのわずかな距離しか離れていないのですが、鬱蒼と繁った森や谷川のせせらぎなどがあって、自然の中に居るという雰囲気を味わうことはできます。ただ、閉口したのは至る所に「まむし注意」という看板が立っていて、草深いところは避けて歩いたものの、落ち着いて写真を撮る気分になれず、早々に引き返してしまいました。
季節の変わり目ということもあるんでしょうか、花は少なかったのですが森の入り口近くでは珍しい花も見ることができましたので、写真集にUPすることにしました。

2003/08/20

最近の「独り言」は写真撮影記録と読書感想のようになってきました。とは言え他に書くことが思いつかないので、今日も撮影記録です(笑)。
名古屋は、朝方からどんより曇った空でしたが、天気予報によれば東海地方は「晴れ」とのことだったので運を天に任せて「開田高原」へ撮影に出かけることにしました。撮影対象は、この時期のことですからもちろん「蕎麦の花」。7時半に家を出て一宮ICから中央高速に入り、中津川ICで降りたところ、なんと、予報通り空はすっかり晴れ上がっていました。ラッキー。
開田高原の少し手前あたりから道端で目に付いた花を撮影。午前11時半、少し早い昼食を「そば処 まつば」でとりました。この店は味の良さはもちろんのこと、店内の雰囲気も落ち着いていて私のお気に入り蕎麦屋さんの1つで、開田高原に来た時はここと決めています。
昼食後、「開田高原観光案内所」で撮影に適した蕎麦畑を2,3教えてもらい、目的地を「木曽馬の里」と決定。御嶽山の勇姿を背景に、木曾馬の牧場、蕎麦畑が広がっており、白樺林に囲まれた非常に景色のいいところです。
お目当ての蕎麦の花は、観光案内所で聞いたところによれば、このところの冷夏・長雨で生育が遅れ気味とのことでしたが、今がちょうど見ごろで、真っ白な花が周りの緑と程よく調和してとてもいい感じでした。さわやかな風と澄み渡った青空の中で、花を求めてあちこち散策しながらの撮影で、心地良い時を過ごすことができました。
午後2時40分、撮影を終えて国道361号から19号へ出て一路家路へ。途中、南木曽の辺りで雨に降られましたが、午後6時、無事家にたどり着くことができました。

2003/08/10

台風10号が去って、久しぶりに青空が戻ってきました。昨日辺りから郷里へ帰省する人でどこの高速道路も混雑し始めたという報道がありましたが、意を決して伊吹山に写真撮影に出かけることとしました。幸い、渋滞もほとんどなく、いい撮影日和になりました。
6月に伊吹山を訪れたときには、めぼしい花が咲いていなくて苦労しましたが、今日は収穫がたくさんありました。シモツケソウは少し盛りを過ぎたかな、という感じがしましたが、いろんな花を目にすることができて、少々興奮気味での撮影でした。
午前10時ごろから午後3時ごろまでの5時間にわたる山歩きの割には疲れも無く、いい気分で帰途につくことができました。家に帰ってから撮影枚数を数えたら、150枚以上になっていて、我ながら驚きました。撮影中に消去したものも含めると170枚以上は撮ったでしょうか。
今日は、青空と雲が非常に綺麗だったので、できるだけ空や雲を取り込むように構図を考えてみたのですが、読者の皆さんはどう感じられたでしょうか。
ということで、いつもだったら午後7時にはHPにUPできていたのですが、全ての写真の出来栄えをPC上で確認し、トリミングやサイズ変更などの編集作業に手間取ったため、UP完了が午後11時30分という時間になってしまいました。

2003/08/03

昨日に引き続き、今日も写真撮影です。目的地は愛知県知多郡武豊町にある壱町田湿地。
ここは、愛知県指定天然物に指定されており、湿地内を見学できるのは年に3回(7,8,9月の指定日)だけです。この地に湿原があるなんて知りませんでしたが、私のHPのBBS上でExcelを通してお知り合いになった HN「美」さんに教えていただき、たまたま「美」さんがこの近くにお住まいということで、ご好意に甘えて案内していただきました。
この湿原ではいろいろ珍しい花を見ることができますが、8月は「ミミカキグサ」の仲間が主で、その花の大きさたるや高倍率の望遠鏡を使ってなんとか見えるぐらい小さく、散策路から離れたところに咲いているため、写真撮影はほぼ不可能に近いぐらいです。今回は、光学・デジタル合わせて40倍ズームと、デジカメの能力限界にしてどうにか撮影できたものが数点ありました。
残念ながら、メインの「ミミカキグサ」はカメラの能力を遥かに超えるほど小さいため、撮影はできませんでしたが、それでも湿地の雰囲気だけは味わっていただけるかと思います。
印象的だったのは、湿地には中学生から高齢者までの様々な年代のガイドボランティアの方々が大勢おられて、実に親切に説明していただけたことです。熱心な説明を聞いていて、貴重な自然環境を後世にまで残していこう、というボランティアさんたちの意気込みを強く感じました。

2003/08/02

仕事の帰途、ふと思い立って夏の花「カンナ」の写真を撮ってきました。名古屋は昨日からとても蒸し暑く、遅まきながら夏がやってきたかな、と想わせる陽気になったのですが、今日はじっとしていても汗ばむような暑さとなり、汗びっしょりになりながらの撮影となりました。
目的地の土古公園は名古屋市の都市公園で、その一角にカンナが7000本ほど植えられているそうです。今日、訪れた感じではこのところの暑さのせいか、花の盛りには少し遅かったようですが、それでも色とりどりのカンナに巡りあうことができました。
肝心の写真のことです。まだカメラの機能に習熟していないため、機能テストをしながら撮影を試みたのですが、なかなか思うような結果が出ません。再度、勉強し直さないと・・・・

2003/07/27

昨年から読み続けていた 池宮正一郎「平家(全3巻)」、津本陽「龍馬(全5巻)」をようやく読み終えました。二つとも雑誌に連載していたものを単行本にまとめて発刊したものですが、「平家」は平成14年11月から、「龍馬」は平成13年4月から逐次発刊され、いずれも6月から7月にかけて完結したものです。
初刊から完結に至るまでの期間がこれだけ長期になると、最初の頃に読んだ内容を忘れてしまって思い出すのに一苦労します。せめて発刊間隔を3ヶ月以内にしていただけると・・・
それはさておき、2つとも読み応えのある本でした。「平家」は登場人物のキャラクター設定が意表をついており、読んでいてもそれが奇異に感じられない面白さがありました。また、「龍馬」はことさらに派手さを求めず、膨大な資料を駆使して書かれており、まさに歴史が作られていく過程を見ているようで、興味深く読み進めることができました。
幕末期に活躍した志士達の行動を見てみると、その純粋さに心を惹かれます。多くの志士は維新の夜明けを見ることなく志半ばで散っていくのですが、龍馬もその一人です。土佐藩の一介の脱藩郷士が日本中を駆け巡って諸藩の重鎮を動かし、あれだけ活躍できたということは、単に彼の行動力・識見が優れていただけでなく、人間的な魅力が根底にあってこそ可能であったと言えるのではないかと思います。もし、彼が無事生き長らえていたとしたら、世界をまたにかけた海外貿易で有名を馳せていたかもしれません。

2003/07/26

今日は梅雨明けを思わせるようなスッキリと晴れ上がった良い天気に恵まれ、かねてから楽しみにしていた「ザギ草」の撮影に出かけました。宮城県では大きな地震が発生してまだ余震が続いているというときに、ノンビリ写真撮影で申し訳ないような気もしますが・・・・
目的地は、6月に「ササユリ」を撮影した「みたけの森」の中にある「高原湿原」です。肝心の「サギ草」なんですが、今年は長雨と低温のせいで生育が思わしくないのか、目にすることができた花は僅かに3つしかありませんでした。
湿原の近くに設けられた東屋で昼食をとっているとき、たまたま親子連れと一緒になり、いろいろ話を聞いてみると、ここには毎年写真撮影に訪れているということで、サギ草の咲いている場所やハッチョウトンボのことなどを教えていただき、大変助かりました。
他にはこれといった花も咲いていなかったのですが、以外だったのは、この季節にモミジのような葉をした木が紅葉して真っ青な空と見事なコントラストを描いていたのには驚きました。

2003/07/21

海の日の前日の日曜日、長野県霧ケ峰へ撮影に出かけました。目的は、車山高原のニッコウキスゲと八島湿原の花。
午前8時、名古屋を出るときは雨の降りだしそうな天気でしたが、目的地に近づくにつれて晴れ間がのぞくようになり、前日からてっきり雨天を予想していただけに、ラッキーという感じでした。
今回は、野外料理を経験してみたいという仕事仲間と一緒でしたので、諏訪IC近くのスーパーで食材を仕入れ、昼食は白樺湖畔のホテルの近くのヤナギランが群生しているお花畑でバーベキューを楽しみました。
食事が終わりかけて、そろそろコーヒーを沸かそうかと準備し始めた頃、突然、驟雨に見舞われたので、大急ぎで炊事道具などを片付け、湖畔の喫茶店に避難しました。
間もなく雨も止み第一の目的地、車山へと向かったのですが、一昨年まで有料だったビーナスラインが昨年から無料になったこともあって、大渋滞。やっとの思いで車山にたどり着き、リフトで中腹まで昇ったところ、期待にたがわず山一面ニッコウキスゲが咲き乱れている様は壮観でした。
しばらく撮影した後、第二の目的地、八島湿原へ。途中の道も相変わらずの渋滞で、八島湿原へ入る道の三叉路へ着くと、7月12日から21日までは八島湿原の駐車場は一般車両駐車禁止との立看板。そのかわりシャトルバスが運行され、1乗車200円とのこと。なんとか目的地へ着いたときは午後4時を回っていました。
時折、小雨がパラつく中、湿原の花を撮影。6時過ぎに撮影を終えて岡谷ICに向かったところ、岡谷の街に入る手前からまたまた渋滞。結局、ICに入ったときは7時を少し回ってしまいました。
というわけで、自宅に着いたのは午後9時半ごろ。渋滞に悩まされた一日でもありました。
ところで、今回は天候の都合もあって三脚を持たずに撮影したのですが、結果を見ると手振れのためピントが甘くなっているのが数多くあり、HPに掲載できなかった花があったのは少々残念でした。やはり長焦点での撮影には三脚は欠かせませんね。

2003/07/13

このところ名古屋地方は、ほとんど曇りか雨という鬱陶しい天気が続いています。天気予報によれば、午後からは雨ということでしたが、名古屋近郊の立田村へ「ハス」の撮影に出かけることにしました。
立田村は、木曽川・長良川・揖斐川が集まる「木曾三川公園」の近くにあり、レンコンの栽培では日本で3番目だそうで、レンコン以外にも「花ハス」も栽培しています。現地に行ってみると、今日は奇しくも村の「森川」という地区で「蓮見の会」が開かれ、「赤蓮保存田」では撮影大会も開催されて、カメラマンで賑わっていました。
同所での撮影の後、少し足を延ばして岐阜県大垣市にある「大賀ハス園」にも寄ってみました。ここも「大賀蓮まつり」(7月1日〜31日)が開催されており、蓮園の中に観覧用の通路も設けられて花が見やすいように配慮されています。ここの蓮は、約2000年前の蓮の種子から発芽した古代ハスとして有名なところです。一般のハスより形はやや小ぶりですが赤みがかったピンクの美しいハスでした。
撮影を終えて午後1時過ぎに遅い昼食をとっているうちに雨が降り出し、今(午後6時15分)、この稿を書いているのですが、外は本格的な雨となっています。

2003/07/06

梅雨らしく朝からどんより曇った日曜日になりました。それにもめげず、写真撮影に行ってきました。本来の目的は豊橋市にある「葦毛湿原」だったのですが、先週と同様、花に恵まれず、近くの「豊橋総合動植物公園」の睡蓮を撮ることにしました。ここの睡蓮は、フランスのモネガーデンから送られてきたものだそうです。
写真の出来栄えはあまりよくありませんが、それでも睡蓮の優雅な雰囲気だけは味わっていただけるのではないでしょうか。
このところPCの調子が悪くてすぐメモリオーバーになってしまい、写真の編集やらHPへのUP作業中、3回も再起動しなければなりませんでした。原因がよくわからないので非常に困っています。早くなんとかしなければ・・・・

2003/07/05

今回の本は、女流作家による歴史小説です。今から30年近く前に書かれた、三浦綾子「細川ガラシャ婦人(上・下2巻)」。
物語の主人公については、名前と悲劇的な人生を送ったという程度の知識しかありませんでしたが、何時かはその生涯を知りたいという興味はありました。
細川ガラシャ婦人は、戦国時代から徳川幕府にかけての大名、細川忠興の妻で、「ガラシャ」はキリスト教の洗礼名です。彼女は名前を玉子といい、明智光秀の娘として生まれました。細川忠興と結ばれてからというものは、その美しさ故に忠興の狂気とも言える溺愛を受け、そのことが結果として彼女を死に至らしめることになります。
世が戦国から徳川へと移行していく過程で、彼女は時代の流れに翻弄され、戦乱の中で父・光秀をはじめ一族のほとんどを失ったり、夫・忠興の情愛に失望してキリスト教に救いを求めます。物語では、人間として生きることが極めて困難であった当時の女性達の境遇や、人が人として生きることの意味とは何か、といったことが描かれています。
信ずるもののために命さえも惜しまず、殉教者となって果てた玉子の短い一生を読んで、信仰する者の強さや逞しさ、信念を貫き通して生きることの難しさを強く感じさせる本でした。



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